2011/11/01

1(第一部)

 「楽歴」とは、「楽壇」と同じような使い方で、一般的には音楽家の履歴を示す言葉である。でも私は音楽家ではないので、ここでは音楽を中心とする私の楽しみ、趣味、娯楽全般について自叙伝風に書き綴ってみようと思う。

 子供の頃から人一倍好奇心旺盛だった私は、音楽が基本ではありながらさまざまなことに手を出し、時間とお金と体力を浪費してきた。「浪費」と思うのは、いろいろなことに首を突っ込んではきたものの、何ひとつ一人前にこなせると人に言えるものがないからだ。逆説的、自己弁護的に言えば、とにかく世の中は面白いことだらけであり、そのどれもこれもがとてつもなく奥が深い。

 ひとつのことをとことん追求して、その道の達人と言われる人になるという人生もあるのだが、実際のところ「達人」や「名人」と言われる人々は、ただそのことひとつだけに秀でているわけではないようだ。「職人」と「達人」の違いは、どうやらその辺に大きな差がありそうだ。キーワードは「創造力」だ。私は常にクリエイティブな人に憧れ、自分もいつもクリエイティブでありたいと思い続けている。だが「創造力」も天賦の才能のひとつであり、一般人がいくら時間とお金と体力を使ってもなかなか手に入らない性質のものだ。私の場合、だからいつも「浪費」になってしまうのだが、分かっていても止められない。そこでこの「浪費」の決算書を書いてみようというのが、これから始める「私の楽歴書」のもうひとつの趣旨である。

  関西方面で生まれた言葉に「道楽」という表現がある。ニュアンスとしては、「浪費」につながる「無駄な遊び」を指す言葉だ。「道楽者」となるともっと皮肉で、批判的な意味になるが、結果的に私はどうやらこの「道楽者」に憧れてきた節があるように思う。目の前に現れた面白そうなことを黙って無視することができない。結果として、世の中、面白いことだらけに見えてしまい、いつまでたっても無駄遣いがおさまらないのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿