2011/11/01

14(第一部)

 マイケル・ジャクソンのEPICレコード移籍後初のソロ・アルバム「オフ・ザ・ウォール」は世界的なヒット作品となりましたが、その後の「スリラー」に比べればまだまだ洋楽のヒットの域を出ていないものでした。衝撃的なファースト・シングル「今夜はドント・ストップ/Don't Stop 'til you get enough」はディスコで人気を博しましたがラジオのエアプレイはさほどでもなく、営業的にも大した成績にはなりませんでした。このアルバムの発売会議で当時の営業課長がつけた初回の目標数が3,000枚に過ぎなかったことが象徴しています。まだ駆け出しのディレクターであった私ではあっても、このアルバムのマスターテープを聴いた瞬間から歴史的な名作になる確信があり、発売会議では熱弁を奮ってプレゼンテーションを行いました。担当としての希望目標は初回20,000枚という、当時の洋楽としてはかなりの数字を掲げて臨んだ会議でしたがクールな営業課長の一言、「おまえが好きなだけだろぅ、売れねぇなあ、いいとこ3,000だ」であっさりとかわされてしまったことを覚えています。ただ私の心の中では「そんなものではすまないはずだ、きっと爆発する、させてみせる!」と密かに期するものがありました。

 そんな中、「今夜はドント・ストップ」はEPICソニー創設以来初の全米No.1シングルになり、アルバムもグングンとチャートを上昇、第2弾シングル「ロック・ウイズ・ユー」も
連続No.1になるなど、アメリカでのヒットはどんどん規模が大きくなっていきました。あれよあれよといううちにミリオンセラーとなり、国内でもアルバムの売り上げが日を追って伸びていったのです。ところがEPICソニーの洋楽部門は当時、洋楽のシングル・ヒットを目指して大々的なポップスキャンペーンを行っており、やはり私の担当アーティストであったイギリスのポップ・グループの売り込みに全てを賭けている状況だったのです。まず最初に「ウォンテッド」(ピンク・レディーとは別物)のディスコ・ヒットで売り出し中だったザ・ドゥーリーズ、そして「ダンシング・シスター」で全英チャートNo.1のヒットを出していた4人姉妹ノーランズ、この2つのポップス・グループのための強力なポップ・シングル・キャンペーンを展開していたのです。折りしもディスコ・ブームの中で女性コーラス系のグループに人気が集まり、 なかでもビクターのアラベスクは20万枚クラスのシングル・ヒットを連発していて、前回書いたようにミュンヘン・ディスコ・サウンドが大流行して久しぶりに洋楽にシングル・ヒットを数多くもたらしていました。

 こうした他社の動向に注目しながらも、ディスコと有線放送の露出だけに限られていた状況に問題提起する形でEPICソニーは特にAMの放送局に対してポップスの復権を訴えて回りました。イギリスの2つのグループを全面に出してのキャンペーンはミュンヘン・サウンドとは一線を画しながら、また当時の洋楽メディアの中心となっていたFM放送局に対してではなく、あくまでもAM放送局をターゲットの中心に置いてのプロモーションでした。このキャンペーンを企画した当時の私の上司は70年代にCBSソニーの花形ディレクターとして洋楽業界のトップを走っていた有名な人物で、78年の春に2年ぶりに本場アメリカのCBSレコード本社での特命業務を終えて帰国、そしてEPICソニーの洋楽部門に課長として配属されていたのです。この人物、堤光生氏(現、(株)SMEマネジメント取締役)は現在に至るまで私にとってはかけがいのない先輩であり、企画者として、またプロデューサーとして大師匠ともいうべき鬼才です。この堤課長の下、EPICソニー洋楽部門は次々と業界の話題をさらうユニークな戦略でヒットを連発します。このポップスキャンペーンはノーランズの名曲「ダンシング・シスター」を20数年ぶりのオリコンNo.1ヒット、100万枚セールスに仕立て上げ、イギリスの4人姉妹ノーランズはアイドルとしてラジオばかりではなく、テレビ、雑誌のメインを飾るスターに育ちました。「キャンディ・ポップス」という新語が生まれるほど洋楽から久しぶりの大衆的なヒットが作られたのです。ノーランズは80年の東京音楽祭に出場し、後にWINKのカバーでも知られる「セクシー・ミュージック」で見事にグランプリを獲得、名実共にトップ・スターの地位を確立しベスト・アルバムも50万枚を越えるヒットとなりました。

 堤氏のこのキャンペーンのアイディアのベースにはアメリカのレコード・マーケティングの基本手法が取り入れられていました。ラジオを中心としたTOP40の考え方です。ミュージック・テレビジョン=MTVが登場するまで、アメリカのポップスのヒットは全米にネットワークされたAMを中心とするラジオのエアプレイが起爆材となっていたのです。アルバム指向のFM局とヒット曲指向のAM局が音楽のジャンル別に多数存在するアメリカでは、日本のような  総合放送局ではなく音楽、ニュース、スポーツなど全てが専門局として運営されています。TOP40局という音楽専門ラジオ局はジャンルを問わずリクエストとレコード店の売り上げデータ中心の人気チャートをベースに選曲・放送し、いつでもヒットチャートをリアルタイムで24時間聴くことができます。各都市に存在するTOP40曲のチャートが基になって全米TOP40が集計され、『Billboard』誌の週間チャートが発表されるのです。堤氏は2年間のCBSでの経験の中でこうしたシステマティックなアメリカのマーケティング手法を学び、それをEPICソニーで実践しました。もちろんノーランズの魅力や「ダンシング・シスター」のヒット曲としてのポテンシャルなくしては成立しない話ですが、日本のポップス史に残る大きな成果を生んだ背景には、実はこうした、したたかな裏付けがあったのです。

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