2011/11/01

24(第一部)

 さて、3回にわたってイギリスのファッショナブルな女性ヴォーカリスト、シャーデーのことを書き続けましたが、私のSMEでの洋楽ディレクターとしての現場の仕事はこの頃で終わり、配置転換による担当替えと管理者としての立場に移っていきました。洋楽セクションの中でも年齢、キャリアの両面から既にベテランの域に入ってきて、現場を離れる時期が来たのです。若いディレクターたちが育ち始め、新しい音楽シーンの中でニュースターも登場していました。

  新たに私が命じられた仕事は洋楽部門における「事業開発」です。単にレコードのヒットとアーティストのブレイクを洋楽業界の枠組みの中だけで考えるのではなく、広く媒体や他業種とのタイアップやキャラクター・マーチャンダイジングへと拡大して、音楽の持つメディア的な価値とアーティストの持つ人材的な価値をビジネス化しようという試みです。一方で、こうした音楽とアーティストを使った「付加価値」の創造とともに、内部的には年々増大している宣伝費や販売促進費の節約という目的もありました。それまでにも楽曲のヒット作りのためにTV局やCM業界とのタイアップは日常的に行われていましたが、海外アーティストの場合は、国内のプロダクション業務のように日常的にアーティストの音楽以外での仕事を作りだすというようなことは出来ません。したがって、来日公演を機会として、日本滞在中に通常のプロモーション活動に加えて、TVコマーシャル用キャラクターとしての仕事や音楽番組以外のTV番組へのギャラ付きのゲスト出演、音楽セミナーの開催といった教育関係、自伝や写真集のような出版物の仕事、文化交流使節のような公益事業、さらには老人ホームや孤児院への慰問や地域振興イベントへの参加など、こちらから積極的に仕掛けてゆくこれらの活動は洋楽業界ではほとんど皆無に等しいことでした。

 国内のタレントやアーティストの場合、彼らをマネージメントするプロダクションにとっては音楽以外の収入源を必要としないアーティストはごくわずかで、大半はタレント業としてTV局や広告業界からの収入を当てにしています。こうした収入が次の投資資金=新人の発掘資金を確保する手段であり、各プロダクションは自社のお抱えタレントのTV番組レギュラー取りのために、またレギュラー・スポンサー探しのために日夜営業活動を展開しています。海外アーティストの場合は本質的に本業で食べてゆくのが原則であり、日本のような芸能事務所はあまり存在しません。これは日本の興行界の歴史的な背景、つまり芸者さんと置屋の関係が未だにベースとなっているのです。80年代になって日本の音楽界にも欧米的なアーティストの事務所が多数誕生しましたが、それは多分に従来の芸能事務所の体質に対する反発から生まれたもので、海外アーティストのマネージメント会社とは本質的に異なっています。欧米の場合、アーティストのマネージメント会社の役割は主に著作権の管理とレコード会社や興行会社との契約代行業務、そして作品制作の経費とスケジュール管理業務で、日本のプロダクションのような副業的な営業活動は一切行いません。

 アーティストは基本的にそれぞれが個人事業者であって、マネージメント会社は彼らに選ばれて雇われる存在です。時には、コンサルタントのような立場でアーティスト側に色々な提案を行いアーティストを雇うケースもありますが、この場合は大半がプロデュース業務を行っている会社でミュージカル業界やイベント業界などがこれに当たります。

 このように日本と欧米の音楽業界、芸能界の背景に大きな違いがある中で、海外アーティストを使って極めて日本的なビジネスを「事業開発」するというミッションは、国内の専門事務所との競争の中に入ることでもあって、たいへんに困難な上に、具体的な成果を出しにくい仕事でした。何故このようなセクションが作られたのか、また何故私がそのリーダーに任命されたのか、その背景については追って書いてゆきますが、まず大きな前提として、レコード会社の事業というものが安定的な成長と収益を目指す事業としては極めてリスキーなビジネスである点を見逃してはいけません。海外を例にとるまでもなく、アーティストや楽曲の人気によって業績が大きく変化するレコード・ビジネスは、ヒットの歴史を重ねることによるコンテンツ(カタログ)の充実があって初めて長期的なビジョンが成り立つという性格をもっており、コストと収入のバランスは一つ一つのタイトルの収支だけでは予測できません。一般的に、レコード(今ならCD)の収支バランスは80%近くがマイナスであると言われています。つまり、100種類のタイトルのうち、レコード会社が利益を出している作品は20タイトル程度である、ということで、この20タイトルの中からいくつかの大きなヒットが生まれると、全体として十分な利益が確保できると言うことになります。SMEは高収益企業として89年に東証2部上場を果たしましたが、その他のレコード会社で当時の上場基準を満たすことの出来た会社は皆無でした。それ程に有名なブランドであっても、安定性には乏しい事業なのです。また、日本の音楽は極めて閉鎖的で、市場はほぼ日本国内に限られているという特徴もあります。やはり、言葉の問題が最大の文化障壁かもしれませんが、英米との根本的な違いは「映画業界」にも通じるものがあります。

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