2011/11/01

11(第二部)

 「プレステ」の世界的な大ヒットは、一般家庭へ3DCGの世界を広めたこととテレビ・ゲーム(欧米ではビデオ・ゲームと呼びます)をより幅広い世代に浸透させたことの大きな二つの「変化」をもたらしました。一般家庭へのパソコンの普及のプロセスを横目に見ながら、このゲーム機はデジタル時代の「シンボル」のようにテレビと一体となって一気に普及しました。「プレイステーション」というネーミングのコンセプトは、既にIBMが1970年代から使い始めていたオフィス用の端末機器の総称「ワークステーション」に対するアンチテーゼです。パーソナルな「家庭」というフィールドでは、コンピュータは「ワークステーション」からの延長線上で「パーソナル・コンピュータ」としてダウンサイジングを進めてきましたが、任天堂はゲーム側からのアプローチにコンピュータを特化させて、「パーソナル・コンピュータ」に対して「ファミリー・コンピュータ」というネーミングでテレビ・ゲーム機を全世界のリビングに広めようとしました。その価格は玩具としては破格の高額でしたが、パソコン本体との比較で見れば1/8であり、しかもテレビをディスプレイとして利用するため、トータルで考えればわずか1/15の価格でした。この「ファミコン」(欧米ではNINTENDOと呼ばれていました)の登場した1984年頃の家庭用のテレビは29型ステレオ・テレビが発売された時期で、衛星放送が始まり、地上波放送でもステレオの番組が増えてきた時期にあたります。ところが、「コンピュータ」の世界ではまだ音の処理は稚拙で、「ファミコン」もモノラル仕様でした。リビングの中心に置かれ始めた真新しい大型テレビに対して「ファミコン」はどこか幼稚で貧弱な印象があり、また基本的には長時間の一人遊びの道具としての性格が強いことから、いつの頃からか「ファミコン」は買い替えられた古いモノラル・テレビに繋がれ子供部屋に移されていったのです。「ファミコン」の「ディスク・システム」が登場するとますます小学生の遊び道具となってゆきます。300円で新しいソフトに書き換えが出来るというシステムは子供たちの遊びとして適当な値段であり、「おもちゃ」としての性格が強くなってゆきます。

 それでも「ファミコン」に夢中な青年たちはゲームマニアとして成長し、ゲームセンターとRPG系ゲームにはまってゆくと共に「おたく」と称される人種に色分けされ始め、高校生以上のゲームプレイヤーたちは次第に「ファミコン」に飽き足らず、パソコンに興味を移し始めました。SEGAのファンが次第に増えていったのもほぼ同じ頃で、NECの「PCエンジン」と共にゲームマニア・ライクな16ビット仕様のSEGA「メガドライブ」はゲーム好き青年の支持を集めて、特にアメリカでは単年度では「ファミコン」を抜く売上を記録し、いよいよ任天堂の独占時代が崩れ始めてきました。そこに満を持して登場したのが任天堂の16ビット機「スーパーファミコン」(欧米ではSuper Nintendo=NESと呼ばれます)です。「ファミコン」の2倍はあろうかという大型カセットのソフトで楽しむ擬似3Dのグラフィクスは衝撃的な美しさで音もステレオ、そして再びリビングの大型テレビに繋がれる存在に返り咲きました。一方でゲームの画質が向上するに伴ってソフトのデータ量も飛躍的に増え始め、この頃からメモリーとROMの容量が大きな課題として浮かび上がってきました。SEGAとNECはCD-ROMをソフトメディアに採用し、16ビット型のCD仕様機を投入、任天堂に対抗しましたが、時代のニーズはさらにその先のリアル3Dの実現に向かっていました。

 任天堂とSonyが急速に近づいたのはこの頃です。任天堂は32ビット型次世代機にCD-ROMを採用することをほぼ決めてはいましたが、CD-ROMのデータ読み込み速度の遅さを懸念していました。一方Sonyは音楽用CDの普及に成功しましたが、CDプレイヤーの次の戦略商品として高速回転のCD-ROMプレイヤーに大きな市場を見ていました。おりしもパソコンの標準仕様としてCD-ROMプレイヤーが搭載され始め、NECとSonyはそのトップ・ブランドとして覇権を争っていましたが、Sonyは自社のパソコンでは完全に失敗し、あくまでCD-ROMパーツメーカーとしての拡販に集中していました。しかしAppleコンピュータへの完全導入は果たしましたが、その他のパソコン・メーカーではNEC、松下、さらに韓国、台湾などのパーツメーカーに押され気味で激しい価格競争に巻き込まれていました。その大きな突破口として任天堂の新型ゲーム機への高速回転のCD-ROMプレイヤー採用に向けて共同開発の提携を目論んだのです。

 しかし、任天堂とSonyの提携はあっけなく終焉を迎えます。「スーパーファミコン」は全世界で健闘し、SEGAの「メガドライブ」と戦っていましたが、SEGAのCD-ROM搭載機「メガCD」の投入がなされた後でも大きな落ち込みを見せなかったのです。特に米国では、一時ナンバーワンの地位をSEGAに奪われましたが、すぐにトップに返り咲き「スーパーマリオ」はハリウッドの映画になる程のヒットキャラクターに成長していました。アーケード・ゲームではSEGAは大きな成功をしていましたが、家庭用では任天堂がリードしているという状況だったのです。真相は未だに謎ですが、任天堂は突然、Sonyとの提携を解消すると発表します。この発表の仕方を巡って、後々まで尾を引く確執が生まれるのですが、米国で発表されたこの報道で、米国Sonyの株価が一時急落しました。一方、米国任天堂の株価はむしろ上昇したのです。市場がこの提携をどのように見ていたのか、この時点ではっきりしたのです。

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