2011/11/01

7(第一部)

 前回の続きになりますが、就職の最終社長面接のところから始めることにします。
 何社かの入社試験を受けているうちに、結局残り1社というところに追い詰められて、最後の望みであるCBSソニー(現ソニーミュージックエンタテインメント=SME)の最終社長面接に臨むことになりました。

 当時の社長さんは現在のソニー株式会社の会長である大賀さんでしたが、実際は社長面接ではなく専務面接となり、元SME会長の小沢さんが最後の面接官でした。1組2名ずつ全部で10組ほどが呼ばれましたが、そのうちの何人かはすでにアルバイトなどで会社に出入りしている学生で、人事担当者を含めて会社の人々をよく知っており、はじめから採用が決まっているような口ぶりでした。予想通り、こうした学生が最終面接に残っており、ここで初めて自分には一切のコネが無かったことを思って呆然としました。この年の応募総数は2500名余、採用枠は10名程度ということで、最終面接には残ったものの結局これでダメかと思うと妙に度胸がすわって、この際言いたいことをすべて言ってやろう、という気持ちになりました。

 同じ組で面接したもう一人の学生は明大生で、有名女優の松原千恵子の兄弟か親戚かでした。ツメエリの学生服姿で芸能界のコネをアピールしながら血筋の良さを強調して卒無く応答していましたが、私はポロシャツに綿パンという格好で、他の学生や人事担当者の冷たい視線も気にせず開き直っていましたから、小沢専務の質問にも私なりに目一杯ツッパって答えた記憶があります。今でも覚えている印象的な質問は、「レコード会社の人間として最も大切だと思われる資質は?」というものでした。明大生がどのように答えたかの記憶はありませんが、私は「直観」と答えました。その時に、小沢さんにギロッと睨みつけられた覚えがあります。

 入社後に、人事担当者から聞いた話では私は「ダークホース」と言われていたそうです。とにかく色黒でしたし(今もですが)、コネもなく最後まで残ったのは予想外だったようです。とにかく、90%の入社希望者が音楽の制作志望ですから、キャラクタービジネスの新事業志望という点も意表を突いたのかもしれません。まあ、これは本音と建前が半々という感じでしたが。

 とにかく採用決定通知が届き本心からホッとしました。何とか卒業から就職という順調な流れを確定して親兄弟にも顔が立ちましたし、レコード会社の中でも急成長企業への入社ですから、これで大好きな音楽の仕事につければと、一見順風満帆の展開に大いに喜んだのが74年9月のことです。その約1年後に、世の中厳しいものだと思い知るとともに、将来の自分に大いに関わりのある革新的な社会現象が起こることなど知る由もありません。ジャズと共に、この頃から料理にも興味をもち始めて、神戸のアパートの台所で、またアルバイト先のジャズ喫茶の厨房で、はたまた家庭教師先のお宅の台所でも家庭料理をベースに、料理本を買い込んだり、テレビ番組を見たりしながら知識を蓄えていろいろとチャレンジしました。卒業までの半年間は暇も手伝ってこうした趣味の世界に没頭、オーディオ関係、落語、将棋、ジャズ・クラシック・ソウル、パチンコ、マージャンそして料理……。今から思えば無責任な環境下で好き放題の日々、あまりお金はありませんでしたが、実に楽しい毎日でした。社会人になるという夢も膨らみ、オイルショックはあったものの日本経済は高度成長期の希望に満ちていましたし、自分で稼いで好きなものが買えるというのが大きな喜びでした。しかも会社のレコードやソニーのオーディオ製品が社員割引で買えるということで、入社前に何度もカタログのチェックをしたものです。そして、あこがれの東京本社勤務となれば……。配属の発表は75年4月15日の新入社員研修後という通知が来たのは卒業の1か月ほど前のことでした。

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