2011/11/01

10(第一部)

 前回の「楽歴書」から2カ月以上が経過してしまいましたが、月刊ポストペット4月号は個人的な都合で休載とさせていただきました。この紙面を借りて、皆さんにお詫びいたします。

 さて、この2カ月間は私にとってはのちのちの「楽歴書」の2回分くらいの出来事がありましたが、今回は「EPICソニー」への異動の頃のお話を書こうと思います。「株式会社EPICソニー」は1978年8月に設立され、1988年まで存在した「伝説的」なレコード会社で、現在はSMEの事業本部としてその伝統を継承しています。皆さんもよくご存じのように、日本のロックシーンを生み出したレコード会社ともいうべき存在であり、今をときめく小室哲哉氏をはじめとして数多くの有能なアーテイストを世に送り出しました。洋楽部門では、アメリカのEPICレーペルに加えて世界各国の音源を扱って、イギリスのワム!やスペインのフリオ・イグレシアスなどのスターを日本に紹介したり、マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオンの発売元として現在もトップ・レーペルとして成功しています。

 私は現在もいわゆる「洋モノオンリー」で特にブラック・ミュージックの愛好家ですので、この「EPICソニー」設立時の社内公募の時も洋楽の制作希望で応募しました。今、正直にいえば、例の以前の上司からの電話がなければ応募もしなかったかもしれないほど、当時のキャラクタービジネスには熱意をもって取り組んでいましたので、この社内公募についてはほとんど見込みがないと思っていました。もちろん根本的には音楽好きですし、レコード会社に就職したのですから一度はレコード制作の現場を体験したいとは思っていましたが、この時は新しいビジネスの面白さと素晴しい仲間、上司に恵まれていましたので、仕事としての不満はありませんでした。

 ところが! 何故かあっさりと、希望通り新生「株式会社EPICソニー」の設立準備室勤務の辞令が出たのです。会社員になって初めての人事異動でもあり、ワクワク感と緊張感の混じりあった独特の気分に襲われたことをよく記憶しています。この新会社設立については賛否両論が聞こえてきたり、設立メンバーについてのあれこれの話も届きました。最初に配属された20名余の人々は私のまったく知らない人ばかりでしたので、孤立感も相当ありました。洋楽の企画制作の設立メンバーは私ともう一人を除いて6名がCBSソニーの洋楽部門からの異動でしたので、右も左も分からない私は会議に参加してもチンプンカンプン、特にその当時のロックのアーティストについてはほとんど知識もなかったために、第1号新譜として大々的な宣伝を打つ!ということになっていたアメリカンロックの伝説的なバンド、ボストンのことなど初めて耳にしたという状態で、他のメンバーからあきれられたこともありました。

 このボストンとは、1977年にデビューしたアメリカン・プログレ系のグループでギタリストのトム・シュルツの天才的なプレーと新鮮なポップ感覚でデビュー・アルバムからミリオンセラーの大ヒットを記録したEPICレーベルの目玉でした。そして、その1年ぶりのセカンド・アルバム「ドント・ルック・バック」がEPICソニーの記念すべき新譜第1弾ということになったのです。

 私はこの時の発売を盛り上げる宣伝の企画から参加したのですが、今にして思えば本当に大胆で斬新なアイディアが全員から湯水のように出てきて、びっくりしたり、あきれたり、苦笑したり企画会議自体がエネルギーの固まりだったように思います。なかでもパブリシティの話題作りのためにひねり出された企画は、銭湯の背景画をアルバム・ジャケットのイラストにする、というもので、確か大田区のどこかの銭湯と実際に話がついて現実になったことにはたいへん驚きました。富士山の代わりに宇宙船のイラストが描かれた銭湯は何とも奇妙かつ珍奇でしたが、多数のメディアの取材と野次馬が訪れて、企画としては大成功でした。また高田馬場に現在もあるボストン洋菓子店に巨大な宇宙船型デコレーションケーキを作ってもらったり、駄ジャレのような企画も強引に進めてしまうパワーは、この最初のメンバー全員が20代のバリバリで現場を仕切っていたことによるものと思います。また新会社設立という使命感と緊張感は、すでに業界のメジャーとなっていたCBSソニーを仮想敵、あるいは目標として意識しながら全員一丸という気運を大いに盛り上げていました。この時の経験は現在でも私の原点であり、その後ソネットの設立に至るまでSMEの6つの新規事業に関わるという、サラリーマンとしてたいへんに恵まれたキャリアを積むことになったきっかけでもあったのです。

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