2011/11/01

19(第二部)

 ネットワーク・ゲームへの関心は私の中でどんどん大きくなって行きましたが、その最大のきっかけは1997年頃から続々と登場したネット対戦型ゲームのサイトでした。中でも簡単なアプリケーションですぐに始められるPIA-to-PIA型の少人数ゲーム、例えば将棋や囲碁、マージャンといった私にとってはとても馴染みのある国産ゲームのサイトにはまりました。将棋や囲碁については、かつてパソコン通信の時代からネット対戦のフォーラムやSEGAの囲碁サービスなどが存在しましたが、いずれも一対一の対戦ですからそれ程の驚きはなかったのですが、4人リアルタイム対戦のマージャンは新鮮でした。当時の人気No.1マージャン・サイト「東風荘」には、毎晩最低2時間は繋いでいました。日に日に登録者数が増加しサバーの負荷増大のためになかなか繋がらなくなったり、対戦中にしばしば回線状態の不安定でゲームが中断したり、同時チャットやメッセンジャー・ソフトが加わってサービスの幅が広がったり・・・毎月のペースで何か新しい試みが追加されて行く様子はインターネットの急速な広がりと進歩を手に取るように見聞きすることの出来る一つの大きな現象でした。

 前回もご紹介したアメリカのソニー・オンライン・エンタテインメント社は「Ever Quest」の開発に着手していて巨大な予算を投じて「マルチ・プレイヤー型ネットワークゲーム」の一つの理想形を模索していました。同時期にMicrosoftは3Dエア・コンバット・シミュレーターのマルチ・プレイヤー・ゲームを開発し既にサービスを始めていました。いずれもPCゲームソフトのサバイバルを目指して、プレステやサターンなどの家庭用ゲーム機に対抗する新しい遊びの方向として「ネットワーク・ゲーム」を選択したのです。そして、このMicrosoftの戦闘機対戦ゲームの開発を行った制作会社を知ったのは1997年にロス・アンゼルスで開かれたコンピュータ・ゲームのエキスポ「Electronic Entertainment EXPO E3」でした。このエキスポの最大の目玉はもちろんプレステとサターンでしたが、任天堂を加えた日本の3大メーカーのアメリカ市場での熾烈な競争を象徴する巨大なブースに並んで、日本のゲーム・ショーにはあまり登場しないPCゲームの制作会社が多数参加していました。アメリカの大手ゲーム・ソフト会社もゲーム機用のソフトと並んでPC用ゲームを数多く手掛けていて、日本とのPCの普及度合いの違いを浮き彫りにしていました。その中で、ブースのデザイン、社名とそのロゴのユニークさによって異彩を放っていた制作会社の一つで、デンバーに本社を構えるという「VR-1」という会社に強い興味を覚えました。

 ネットワーク・ゲームの技術はゲームの設計力を裏付ける通信環境に関する知識とインターネット上のサーバー周辺技術によって支えられています。現在の日本ではブロードバンドへの急速なシフトが進んでいますが、5年前のアメリカではやっと14.4Kから28.8Kへのが始まった頃でした。PC内蔵モデムが標準化した頃でもあります。この頃のいわゆる「ナローバンド」環境でのネットワーク・ゲームは、サーバー/クライアント型のマルチユーザーを対象とするゲームを目指していたとは言え、現実的には世界中で完璧なシステムを達成したところはまだ一つもありませんでした。「VR-1」社の目標はこの「サーバー/クライアント型マルチユーザー対応ネットワーク・ゲーム」のプラットフォーム作りであり、実証例として先に述べたMicrosoftの3Dエア・コンバット・シミュレーターを稼動させようとしていたのです。この97年のEXPOではβ版のデモを見せていましたが、この戦闘機対戦ゲームの他にもタンク・バトルや潜水艦シミュレーター、RPGなど10種類近いゲームソフトのデモを行っていました。「VR-1 Conductor」と呼ばれるフロント/エンド・サーバーの制御機能はゲームのみならず、インターネットの様々なサービスへの応用も考えられるユニークなもので、インターネット通信の根本的な欠点に対する有力なソリューションでもあったのです。

 私はこのユニークな技術を有するベンチャー企業に強い関心を持ち、So-netのゲーム・サービスへの利用を考え始めました。この会社に出資していた投資家にはMicrosoft、PSI Net、ドイツ・テレコム、ヒューレット・パッカードなどの有力企業グループが名を連ねていましたが、日本からの投資にはさほどの関心がなかった様子でした。私はソニーを始めとして、国内の投資家を見つけることも考えながら、この会社の技術力と高い理想に共感していました。このEXPOからの帰国後に日本市場とのアクセスを仲介するLAのコンサルティング会社とその日本窓口の会社から、全く別途のルートの照会を受けた時には偶然とは言え何か「縁」を感じて、早速具体的な接触を開始しました。その時の私のステータスは、So-netのエグゼクティブ・プロデューサーでしたが、既に私の古巣であるソニー・ミュージックを退社して、POW社というゲーム制作会社の役員を兼務していました。このPOWの創立者である和田氏と専務の本山氏とはSMEのマルチメディア本部の時代に、いくつかのユニークなPS用ゲーム・タイトルの制作を共にしていました。その縁もあり、和田氏の暖かい支援によってPOWの役員に招聘され、同時にSo-netの山本社長のご配慮によってエグゼクティブ・プロデューサーとしてのステイタスも頂いて、ネットワーク・ゲームを中心とした新しいインターネット・コンテンツの開発を委嘱されました。この二つの重責を担って、インターネットの最先端とも言えるアメリカのベンチャー企業との付き合いが始まってゆきます。

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