2011/11/01

16(第一部)

 最近のCMにノーランズの「ダンシング・シスター」が使われているのを耳にしたりするとフッと18年前の映像が蘇ってきてノスタルジックな想いに襲われることがあります。現実の仕事としての現場はかなりタフな場面も多く、ここでは書き切れないようなこともありましたが、思い出として鮮明に記憶していることや蘇ってくるその頃の場面は楽しかったこと、嬉しかったことばかりです。その意味ではとても幸せであり、ラッキーな人生を送っているのかな、と思ったりもします。時代が良かったこともあるでしょうが、職場の周囲の人々や仕事を通して知り合った方々もとても素晴らしい人たちばかりだったことが本当に幸運だと改めて感じます。

  いろいろな出合いの中でも世界のトップ・ミュージシャンやそのスタッフたちと関わったことは現在の仕事の上でも計り知れない財産になっていると思います。現在の私のビジネス上で具体的に何がということはないのですが、海外の人々とのつき合い方や英語とその表現方法などを実践で学んだ効果は当然として、ビジネスの進め方、契約のあり方、さまざまな権利のこと、特にビジネスのダイナミズムについては国際舞台の一線で活動する人々の凄さとカッコ良さをたくさん見てきました。また、一度はトップの座につきながら後輩に追いこされたり、ライバルに破れたり、年齢的な限界に近づいていたり、一線での活躍から徐々に後退してゆく人々の姿もたくさん見てきました。厳しい競争社会での絶好調の時と不調の時、また世代交代が起こる時など、主に音楽業界の中で、それも特に人気商売としての激しい浮き沈みの実体を数々目撃する中で、私自身の人生をどのように生きるべきかについても多くのことを学んだような気がします。

 今回から数回に渡っては、そんな出合いの中で格別に強い思い出となっているいくつかのエピソードを御紹介しましょう。

 まずはアース・ウインド&ファイアー(EW&F)のモーリス・ホワイトのお話を書きたいと思います。既に最近では伝説上のアーティストのような扱われ方をしている記事を見かけることが多くなりましたが、プラック・ミュージックの世界では、特にアメリカと日本においては現在でも多くの尊敬を集めているアーティストの一人です。70年代の後半から80年代前半のEW&Fは、ヒットチャートの常連としてシングル、アルバムのヒットを連発し絶大な人気を誇るグループでした。他の多くのブラック・ミュージックのグループとは明らかに異なったスタイルとイメージをもっていてレコードやCDの購買層も違っているように思います。EW&Fのリーダーであるモーリス・ホワイトの名を初めて知ったのは60年代の終わり頃で、ジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイスのアルバムです。彼はジャズ・ドラマーとしてラムゼイ・ルイス・トリオの一員だったのですが、日本のジャズ・ファンの間ではラムゼイ・ルイス自身がさほど高い評価を受けていなかったためか、モーリスの名前も大して有名ではありませんでした。そのLPは神戸のシャズ喫茶で見たものでしたが、その後になって新宿の中古レコード店で偶然に見つけて、確か1500円程で買った憶えがあります。その頃には既にモーリスはブラック・ロックの旗手と言うようなイメージでEW&Fを結成し、レコード・デビューを果たしていましたが、私自身はその事実関係を知らず、同一人物であることも全く知りませんでした。EW&FがCBSレーベルに移籍して75年に「暗黒への挑戦」という名作を発表しそのタイトル・ナンバー"That's The Way Of The World"のカバー・バージョンをラムゼス・ルイスが同じCBSで新作のアルバムとして発表したことから、モーリス・ホワイトの事をようやく詳しく知ることになり、ワーナー時代の2作品やCBS移籍後の3枚のアルバムを入手したのです。

  その後、EW&Fはトップ・アーティストとして押しも押されもしない地位に上り詰めるのですがその絶好調時の81年、アルパム「天空の女神-RAISE!-」の制作中にロスアンゼルスで初めてモーリスに会ったのです。赤のコルベットのオープンにのって颯爽と現れたモーリスは、CBSのロスのオフィスに立ち寄ったところだったのですが、マイケル・ジャクソンのプロモーションの件で面会していたCBSの担当者が紹介してくれたのです。彼はグループのリーダーであると同時にリードボーカリストでありパーカッショニストであり、そしてアルバムのプロデューサーでもあったためにこの絶好調の時代は最重要VIPであったはずですが、特にセキュリティ・ガードが付いている訳でもなく、自分で車を運転しフラッと現れたという雰囲気で、受付嬢を含めてオフィスの人達とも実に気さくに話したりしていました。こうした気取らないトップ・アーティストの姿に驚いたこともあるのですが、私が日本での人気振りを説明した時の彼の態度、私に対する質問の内容、そしてその時にすぐに制作中のスタジオへ招待してくれた事の決断の早さ、前向きさとひたむきさ、にはたいへん驚きました。私の滞在スケジュールを聞くとすぐに電話でメンバーを集めて、スタジオワークのないメンバーやゲストミュージシャンとして参加している人達までも紹介してくれる手はずを取ってくれたのです。この初めての出会い以降もツアーの時、来日の時、そしてジョージ・デュークという私の担当アーティストのスタジオにも訪ねて来てくれたりと何度も会うことができました。
 その度に最初に出会った時と同様に、常に前向きで、真剣で、優しい人柄は変わりませんでした。

 私が音楽の仕事から離れて、またEW&Fの人気がやや下降してきてからは95年の来日の時にも残念ながら時間の都合で会うことはできませんでしたが、彼の人柄や態度は変わっていないと思います。常に前向きに、そして誠実に音楽のことを考えているに違いありません。少し古い97年の彼のインタビュー(英語)からもそうした姿勢が伝わってきますが、興味がお有りでしたら、300ページに及ぶ彼等のHPを訪ねてみて下さい。
http://www.homdrum.no/ewf/map.htmlまで。

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