2011/11/01

4(第二部)

 ソニー関連の仕事として、当時のCBSソニーコミュニケーションズ(現ソニーミュージックコミュニケーションズ/SMC)のマーケティング・ディレクターとして参加したもう一つのユニークなプロジェクトは、スキー場の建設です。この運営主体は、正確にはソニーではなく、ソニー創業者のお一人で「世界の盛田」として知られた故盛田昭夫氏の所有されていた会社の事業で、その代表はご長男の盛田英夫氏でした。盛田英夫氏は1951年生まれで、盛田家の当主として、先にご紹介した「株式会社盛田」の次期代表となられる立場の方で、図らずも私とは現ソニーミュージックのほぼ同期入社組でした。第1部でご紹介した(株)EPICソニーの創設メンバーの一人でもあり、洋楽部門の同じチームで草創期を共に過ごしてきた仲間でもあったのです。彼は、EPICソニーでの8年弱の活躍の後、ご実家の当主としての事業を継がれるためにソニーミュージックを退社されたのですが、その後も折に触れてお付き合いをさせて頂いています。その彼の手掛けたリゾート事業の一つが、この「スキー場建設」プロジェクトであり、彼の国際感覚と時代の先見性によって企画された構想として、また日本のスキーリゾート事業全体の大きな転換を促した仕事として現在でも大きな歴史的な意義を果たしています。

 このプロジェクトの構想の背景には盛田英夫氏の国際感覚と共に、より具体的な目標として、長野冬季オリンピックの開催がありました。このオリンピックで新種目として正式に取り上げられることになったスノーボードを使った新しい種目は、既に欧米では一般的なスノースポーツとして専用ゲレンデが整備されるなど定着化が進んでいましたが、90年当時の国内のスキー場の大半はまだスノーボードへの対応はされておらず、プレイヤーにとってはまずはゲレンデ探しが第一の条件というような状況で、特に競技者を目指す人々は100%といって良いほど北米とヨーロッパに出向いていたのが実情でした。この辺りの事情を自ら優秀なスキーヤーでもある彼が熟知していたのは、まさに日常的に国際的な活動をベースとしていた生活感であり、また優れて世界中に広い人脈と情報網を持っていることの証左でしょう。彼の「スキー場建設プロジェクト構想」が生まれた背景にはこうした事情があったのです。

 スキー場の具体的建設予定地として用地の取得が進められたのは、新潟県新井市の山岳の一部でした。長野五輪に向けて建設が進められていた信越自動車道の新設インターチェンジからの立地を考慮されたもので、またスキーの回転競技やスノーボードの滑降やジャンプ系の種目に適した勾配と雪質を最大の条件として、競技者のトレーニング用施設としての諸条件を整えて、併せて国内のコア・プレイヤーのメッカとしてイメージを定着させようというのが基本のコンセプトです。この新井市との第3セクターとして「アライ・スキーリゾート株式会社」が設立され、スキー場を中心としたリゾート施設、ホテル、観光レジャー施設の総合開発が実質的にスタートしたのは89年、まさにバブルの絶頂期のことであり、新井市も含めて、この第3セクターに関わった銀行、ゼネコン、ホテル、メディアなど各業界の優秀な人材のほとんどがこの構想の素晴らしさとコンセプトに心酔して、理想のスキーリゾート建設を夢見ていました。スタッフの一員としてPR/ADの協力の要請がSMCに寄せられ、私はマーケティングの担当として数年振りに盛田英夫氏と仕事をすることになりました。お互いにEPICソニー時代、同じ世代であり、共に駆けずり回ったことを思い返しながら、全く別のフィールドで新たなプロジェクトに関わることになったことは人と人との繋がりの大切さと暖かさを感じると同時に、各々の境遇の下で、それぞれに新しい目標と夢を実現するときにお互いの力を合わせられるパートナーが存在することは本当に貴重な財産だと改めて思いました。

 とはいえ、このプロジェクトは結果として実は大変な難産となったのです。長野五輪が終了して現在に至るまで、理想とされたコンセプトは市場や社会の急激な変化の中で、当初の計画から大幅に後退する成果を生むに留まっており、それは単にバブル崩壊やその後の景気後退といった要因ばかりではありません。社会全体の価値観の変化やグローバリゼーションの急速な進展、また高度情報化といったインフラの変化もまたライフスタイルを含むエンタテインメント分野の構造的な変化を促しており、リゾートやレジャーといった余暇の過ごし方についても様々な様相の転換を迫っています。スポーツエンタテインメントというジャンルとしてマーケティングの観点から眺めた場合においても、この10年間に市場の様相は大きく変わりました。オリンピックを中軸としてのスポーツのプロ/アマ問題やプレイヤーと観客の関係、またそれを巡るメディアのあり方も、今や完全なグローバル・マーケティングの時代に入っており、東西対立/冷戦の終結を契機として、世界的な健康/環境問題とも深く関わりながら、スポーツは人間存在の根本である「肉体」と「生命」の命題に直結する本質的な価値対象として、全く新たな世界的関心事の局面に入ってきたと思われます。

 このプロジェクトとの関係で言えば、環境問題、ウインタースポーツ&リゾートのニーズの背景、競争環境、コア・ユーザーのコアなニーズ自体の中身、などの要因が大きな変化の中で個々に、また各々のフェイズと方向性を内在しながら変容していくプロセスで、オリジナル・プランのアイディアが多分に楽観的な予想をベースとしたモデルであったことを立証する結果になったということができます。つまり、単にバブル崩壊以降の「失われた10年」」という日本経済の直接的な後退局面の影響ということだけではなく、時期を同じくして世界的な規模で起こっていた巨大な価値観のパラダイム転換が積算的に効果を及ぼしていた結果であるということが出来ます。
 
 現在、毎日のスポーツ新聞を賑わしている「イチロー現象」をシンボルとして、メディアとビジネスを巻き込んだスポーツエンタテインメントの状況について、次回、このプロジェクトを通して学んだこととしてやや詳しく書きたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿