2011/11/01

8(第二部)

 ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)は、92年頃から業績に不安な要素が見え始めていました。バブル崩壊という日本経済全体の停滞と同時に、国際的な音楽業界の再編成、国内音楽業界の競争環境変化、米国の好景気によって始まったITの急速な発展とそれに伴う娯楽市場の変化、等々・・・。こうした市場環境の変化に対して、SMEの二人のクリエイティブなリーダーである丸山茂雄氏(前SME社長)と堤光生氏(前SME取締役)はそれぞれに異なったアプローチであったとは言え、デジタル技術を背景とする新しいエンタテインメント市場の将来に強い関心と意欲を燃やしていました。現在、改めてお二人のアプローチを比べてみると、ビジネス・ライクな丸山さんとコンセプチュアル・ワークの堤さんという「対比」ができるかも知れません。

 私は幸運にもこのお二人に仕える立場でおよそ15年間もご一緒に仕事をさせて頂きましたが、部下の立場から見て、お二人は各々ほぼ「対極」に位置する判断やアプローチをされるケースが多く、正直な所、その調整には骨を折りました。お二人に共通する特性は「直感主義」であり、共にクリエイティブな仕事をするプロの素質として絶対不可欠な卓越した「創造力」をもっておられます。と同時にテーマに対するどん欲な取組み姿勢はビジネスマンとして、また人間として常に前向きであり、情熱的であることは言うまでもありません。

 従って、ある局面では真っ向から対立することもあり、EPICソニーの草創期以来、お二人は邦楽部門と洋楽部門の各々のリーダーとしていわば「宿命のライバル」だったのです。そして、このライバル関係がEPICソニーという会社を短期間に一流のレコード会社として成功させた原動力であったことは確かでしょう。

 私は初めは堤さんの部下としてEPICソニーの洋楽部門で約10年間鍛えられたのですが、その後EPICソニーを離れてソニー・ミュージックコミュニケーションズ(SMC)の立ち上げに加わった後、4年振りに再び堤さんの始められる新しい事業部に参加することになりました。この時、当時のSMEの松尾社長に呼ばれ、「堤君の新しいチャレンジを是非成功させてやってくれ」と異例とも言える直々の指示を頂きました。

 一方、既にこの時期に丸山さんはSMEにおけるデジタル・エンタテインメントの先駆けとも言える新事業をスタートさせ、任天堂の「ファミコン」向けゲームソフトの制作を始めていました。当時EPICソニーの所属アーティストであった所ジョージや小室哲哉のオリジナル・グループTMネットワーク、またCBSソニーの所属アーティストですがデーモン小暮率いる聖飢魔IIなどのゲームが発売されました。丸山さんはキャラクター性の強いアーティストにゲームという新しいメディアを与えて、表現とビジネスの両面で新たなチャンスを模索していたのです。また、この事業によってSMEの中にゲーム制作やマーケティングの新しい人材が育ち始めて、後のソニーコンピュータエンタテインメント(SCE)の中核になってゆきます。

 堤さんの新事業部は全く別のアプローチを考えていました。「堤流」で言うなら「ファミコン」は「おもちゃ」であり、本当の意味でのデジタル・エンタテインメントは「PC」によって実現されると考えていたのです。堤さんにとってはデジタル技術を使った新しい表現の革命こそがミュージシャンやアーティストに新しい表現とビジネス・チャンスをもたらすという信念がありました。また、それまでの音楽ビジネスが取り込むことの出来なかった新しい表現者やクリエーターの発掘にも強い関心を持っていました。世界に先駆けて「デジタル・エンタテインメント」という「表現」を最初に使い出したのは、この堤さんの新事業部だと思います。プロジェクトチームとして発足した堤さんの「ニューメディア室」は約1年間の調査・研究期間を経て、私の参加と同時に「本部」に昇格して本格的にビジネスに乗り出したのは93年のことです。

 丸山さんのグループもまた93年に新しい局面に入っていました。ソニーと任天堂はCD-ROMを使った32ビット型次世代ゲーム機の開発を進めていたのですが、任天堂との決裂によって話はご破算になりかけていました。ソニー側で指揮をとっていたのが久多良木健さん(現SCE社長)であり、丸山さんは久多良木さんと共に ソニー製ゲーム機による業界参入を考え始めていました。ハードとソフトの両輪が噛み合ってこそのゲームビジネスであり、丸山さんのグループは「ファミコン」ゲームソフト制作での実績を背景にソニー製新型ゲーム機用の次世代ゲームソフトの開発に乗り出したのです。ゲーム業界からの人材発掘も進め、既にCD-ROMを使う32ビット型次世代ゲーム機の開発を宣言していたセガ、NEC、そしてソニーと決別して32ビット型カセットタイプゲーム機に心変えした任天堂の3社に対抗して、いよいよソニーの参入が発表されようとしていました。まさに「プレイステーション」前夜といった時期です。時を同じくして、ソニーの宿敵とも言える松下はCD-ROMを使う32ビット型家庭用次世代ハードのOSとして米国3DO社と契約、こちらはテレビとコントローラーを使う家庭用マルチメディア機という位置付けで当時のパソコンの性能の50倍の表現力をもつという「3D」エンジンを搭載した新型機として大々的なキャンペーンを仕掛けようとしていました。そしてさらに、PCのOSをリードするマイクロソフトはWindows95の発売を控え、その中核的な新機能としてのインターネットはアメリカの情報ハイウエイ構想の中核技術として急速に普及し始めようとしていました。新しいメディアと新しいハード、そして新しいOSと新しいソウトウェア、デジタル技術が日常の生活に急速に浸透し、新しい社会の到来を予感させる華々しい時代が始まる直前のムードは、アメリカの好景気を背景としてパプル崩壊後の日本経済の立ち直りのまさに最大のきっかけになるかのような希望に溢れたものでした。

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