2011/11/01

13(第二部)

 ここ3回に渡って、SME/マルチメディア本部時代のゲームビジネスのお話を書いてきました。その中で、PlayStationのソフトとして、現在まで語り継がれている伝説の大作「クーロンズ・ゲート」の開発について触れましたが、この自社開発チームを編成するに当たって、一人の実力派プランナーが加わりました。前回ご紹介した「クーロンズ・ゲート」の須藤プロデューサーがスカウトしてきた人物は、あのハドソンのヒットゲーム「桃太郎伝説」の開発メンバーの一人、浅野晃一朗君です。彼を初めて紹介された時に、私は直感的に全く異質なキャラクター性を感じたのですが、それは私がそれまでに出会ってきた人々とは根本的に視点の違う発想を持っていた点です。その後数年間に渡って浅野君には様々な形でお付き合い頂く事になるのですが、何と言っても彼との最大の関わりは「ポストペット」の誕生でしょう。

 メディア・アーティストとして活躍中の八谷和彦さんとその学友である元セガのデザイナー真鍋奈見江さんが発案したバーチャル・ペットとメールソフトの合体した電子メールソフト「ポストペット」のアイディアを浅野君が私に話してくれたのは95年の春頃だったと記憶しています。当時、私はSo-netの設立に参画して、SME/マルチメディア本部と出来たばかりのSo-netのコンテンツ開発部を兼任し、様々なコンテンツ開発のプロデュースに携わっていました。浅野君はSMEのゲーム開発チームの一員で、私のスタッフの一人でしたが、彼のユニークな人脈の中で「ポストペット」発案者の二人と親しいプログラマー、幸喜さんがお茶のみ話としてこのアイディアを浅野君に話したのだそうです。私はこの素晴らしいアイディアに即座に「乗って」、その場でSo-netのコンテンツとして開発することを決めました。実は本来であれば、電子メールソフトというアプリケーションの開発はSo-netというよりはSMEのドメインに属するものだったのですが、その時期のSMEではPlayStation用ゲームソフトの自社開発に乗り出したばかりのところで、人材、資金、時間のすべての面で全く余裕がなかったのです。一方、So-netのコンテンツ開発も出来たばかりの会社であり、同じように人材も資金も乏しかったのですが、テーマという点では何か画期的なアイディアが欲しい状態でした。

 So-netのコンテンツ開発にアテンドされた約10名のメンバーはいずれもSONY出身者で、ソフトウェア開発という点ではほとんどが未経験者ばかりでした。SMEからグループリーダーとして出向していた保科裕氏は、ソフトビジネスの全般について幅広い経験と知識をもった人格者であり、優れたマネージャーですが、ネットワーク・ビジネスのコンテンツ・ソフトウェアを開発するという仕事については、コンピューター・テクノロジーの知識も含めて初めて体験する要素が多かったため、現場のプロデューサーとして私がSMEと兼任してチームの企画・マーケティング面のマネージャーを担当していました。「ポストペット」のアイディアは私のSo-netでのプロジェクトとして取り上げることにして、広報や宣伝のグループからも人材を集めて、コンテンツ・グループの北村道雄君をリーダーに社内チームを編成しました。保科GMと当時No.2で現場の総責任者だった山本取締役(現So-net/CEO)のお二人は、私の提案を快く理解し、当時としてはかなりの開発予算を承認して下さいました。

 So-netにとっては初めてのアプリケーション開発であり、同時にネットワーク・コンテンツとしての独自のWEB SITEでのビジネス・モデルを構築するプランは発案者のメンバー3人とSo-netの優秀な若手スタッフ5名、そしてSMEの浅野君も加わってスタート。深夜に及ぶブレーンストーミングが毎週のように行われ、徐々にキャラクター・マーチャンダイジング・ビジネスへの展開を含むユニークなビジネス・プランが練られてゆきました。特に、当時のSo-netのプロバイダー加入者の特徴であった「Macユーザー」にフォーカスした導入時のマーケティングは、SONYらしいアプローチの典型的なスタイルだと思います。

 次回は、「ポストペット」誕生のプロセスでの知られざるエピソードなどをご紹介しましょう。

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