2011/11/01

9(第一部)

 キャラクタービジネス事業部での仕事は、その業界への新規参入会社としての苦労と面白さが交じり合ったものでした。当時の業界ではサンリオが急成長企業として注目され、「ギフトゲート」は全国へ展開し始めていました。サンリオは雑貨が中心の品揃えでしたので、いわゆる文房具業界とは縁が薄く、こちらでは学研が幅を利かせていました。どちらも米国のグリーティングカード会社と提携し、サンリオはHallmark社、学研はVictoria社のカードを取り扱っていました。実は、CBSソニーがこうしたビジネスに参入するきっかけは米国の親会社CBSレコード社がグリーティングカード・ビジネスを始めたからなのです。結果として、米国ではまったく商売にならず早々に撤退したのですが、日本ではサンリオのキャラクタービジネスがモデルとなって現在のソニークリエィテイブプロダクツ(SC)として成功しています。ポストペットとSCの関係については既によくご存知と思いますが、その意味では私とも深い因縁があるというわけです。74年当時、サンリオの「ギフトゲート」はたいへんな賑わいでした。今までにないショップとして直営店とデパートなどへの出店が相次ぎ、新しいキャラクターの発表はさながら音楽業界の新人デビューのような趣でした。学研も次々に新キャラクターを発表、ついには事務用品のコクヨまでが「ファンシー文具」というジャンルの事業部を作ったほどです。アニメのキャラクターよりもセンスがよく、デザインとしての可愛らしさとお洒落な感覚が女子高校性を中心として支持を集め、大きなビジネスとして成長し始めていました。私たちは、当初は文具業界での展開を進めたのですが、徐々にサンリオの路線、つまり雑貨中心の商品構成で独自の売り場を作る方向へと転換していきました。この「独自の売り場作り」が私のミッションでした。まずは自社製品専用の陳列台を作り、そして品揃えの拡大に合わせて次は大型店の中での「SCコーナー」作りへと進んでいきました。入社から3年目、まだまだ駆け出しでしたが、全国を飛び歩いてデパート、スーパー、大型雑貨店、大型文具店、インテリア店などを回って「コーナー作り」のために売場デザインや販売計画作りなどの仕事をしました。営業と販売促進の中間のような役割でしたが、デザインや商品企画にも携わり、ビジネスを覚えるという意味ではとても充実した時期だったと思います。

 77年、釧路と広島のお店が興味を持ってくださり、店舗を改装して「SCコーナー」を導入したいという話が入ってきました。スペースもそこそこあり、立地条件や資金力もありましたので願ってもない話ですが、とにかく遠い。どちらのお店も同じような時期での改装の計画でしたので現地へ出かけるだけでも大変ですし、各地での仕事も増えてきたので全国のセールスからさまざまな連絡が入ります。携帯電話のない時代ですから、外出先にもしばしば電話がかかってきました。そんな忙しい状態になってきたにもかかわらず人員の増強はなく、ほとんど一人でこなさなければならないために外部の会社やスタッフに協力してもらわなければなりません。いわゆるディレクター、プロデューサーとしての仕事の仕方を覚えたのもこうした環境と経験があったからと思います。釧路と広島の両店ともオーナーのやる気と理解もあって素晴らしい「コーナー」ができました。これらの実績をもとにして「実例集」としてのアルバムを作り、セールスマンが得意先での商談に使える資料集として配布しました。この時期にはすでに専用陳列台のニューデザインも作られ、年間1000台の需要がありました。本格的にビジネスが成長し、ヒット商品も生まれて順調に業績が上がり始めた頃、人事部から会社にとっては初めての重要な発表がありました。「社業拡大のため、本年度中に新しい会社を設立します。新会社は、全社から熱意ある人材を集めるために従来の人事異動とは異なり、はじめに社内公募を実施します。所定の用紙に記入し、人事部宛てに直接応募してください。」

 文面は以上の通りではありませんが、社内にはかなりのインパクトを与える発表でした。

 この新会社は後のEPICソニーですが、この発表文には何の会社かの情報はなく、どこからかレコード会社だという話が聞こえてきて、本社は賛否両論で盛り上がっていたようです。私は全国を飛び回っている毎日で広報資料を見ることもなかったため、しばらくこの発表のことは知らずにいましたが、締め切りの前日、以前の上司からの突然の電話でいきなりこう切り出されて、たいへんに驚きました。 「吉川、もう応募はしただろうな、明日締め切りなんで一応念のために電話したんだ。」

 この上司の一本の電話がなければ私の人生がどうなっていたか、本当にきっかけは思いがけないことから始まるものです。

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