2011/11/01

14(第二部)

 1995年に始まった「ポストペット」の最初のプロジェクトには、発案者の八谷和彦さんと真鍋奈見江さん、そしてプログラム担当の幸喜俊さんとそのバンド仲間でSMEの浅野耕一郎さん、ソネット・チームはプロデューサーの北村くんと私を含め6名がアテンドしました。後にスタッフの数はどんどん増えてゆくのですが、オリジナルのファースト・チームは10名。あれから7年が経過して、現在までに企画開発に関わった延べ人数はおよそ100名に及ぶでしょう。

 インターネット用の電子メール・ソフトとして、95年当時は「EUDRA」などのMac派のアプリケーションに、 Win95の登場と共にAOLやNiftyの専用ソフトや「Becky!」「OutLook」などが徐々に勢力を拡大してきた、という状況でした。国内のパソコン通信での電子メール利用者は100万人程度と言われていましたが、ISDNの実験サービスが始まったばかりで、通信環境のほとんどは14.4Kアナログ・モデムからいよいよ28.8Kになろうかという段階でした。私もパソコン通信をやっていましたが、電子メールの便利さには大いに感激しましたが、いかんせんマニアのコミュニティの域を出ず、むしろNiftyのフォーラムなどでのマニア同士の不思議な連帯性などは、今から思えば一般人からは少し変わった奴等だと見られていたかも知れません。その頃のSMEにも一部にNiftyメンバーがいましたが、会社のPCでは通信環境がないため、自宅からメールやフォーラムなどを利用していたようです。海外とのコミュニケーションのためやアメリカから通信販売の買い物をしている部長さんなどもいました。

 私がソネットの立ち上げに関わることになったのは、堤光生氏(楽歴書第2部8回にてご紹介)の新しい事業部への参加が直接のきっかけですが、いよいよアメリカで商用インターネットの公開が始まった頃からデジタル時代の新しいビジネスとして個人的にも強い関心を持っていたからです。プロバイダー事業参入については、ソニーの中にも賛否両論があったようです。既にNiftyの100万人に及ぶパソコン通信利用者があり、新規のベンチャー企業としてはBEKKOAME NETが先行していました。なによりもネットワークのバックボーンとなる巨大な通信インフラの確保と、全国に展開するアクセスポイントについてはNTTの協力なくしては成立しません。(ソネット計画の当初は全世界での展開も視野に入っていたのですが、結果的にソニーのプロバイダー事業としては日本とアジアの一部に限られているのは、こうした巨大な投資と通信企業との幅広いアライアンスが必要だからです。)

 ソネット創設者の一人、現社長の山本泉二さんは、早くから通信事業としてのプロバイダーは過当競争によって急速に通信料金が下がることを予見していました。彼は一貫してサービス・プロバイダーとしてのコンテンツ・ビジネスにこそ活路があると主張し、ソニー・グループのコンテンツ事業とのシナジーを目指していました。オークションやバンキングなどのファイナンス事業、音楽や映像の配信事業、Niftyフォーラムのようなネット・コミュニティ事業など、インターネット接続業と同時にデジタル時代のサービス業としてコンテンツ・ビジネスをソネットの重要な柱と捉えていたのです。山本社長は、ソネットをソニー株式会社の単独事業としてではなく、ソニー・ミュージックとの合弁事業として提案し、ゲーム会社ソニー・コンピュータ・エンタテインメントに続く、SONY&SMEの2つめの合弁会社として設立しました。そして、その受け皿として堤さん率いるSMEマルチメディア本部が関与することになり、私が送り込まれたのです。ソネット構想については、私は早い時期から堤さんと共に山本さんの考えを伺っていました。そして、インターネットにおけるコンテンツ・ビジネスの具体的なアイディアを、アメリカでの事例などを参考にそれこそ夜も昼も考え続けていましたが、そこに浅野さんから「ポストペット」のアイディアが持ち込まれたのです。

 インターネット普及の第一の「訴求点」は、プラウザーによるHP閲覧ではなく、電子メールのビジュアル化によるパソコン通信とのインターフェイスの違いだ、と直感しました。そして、その直感を確信に変えさせたもう一つの要素は、当時小学生の間で静かなプームとなっていた「たまごっち」でした。世の中で「バーチャル・ペット」という言葉が浸透し始めた頃のことです。同じ頃に、ゲームボーイの「ポケットモンスター」(ポケモン)が大ヒットとなって、品切れが続出していました。3Dグラフィックスのプレイステーションとは対極にあたる携帯型ゲームのヒットであり、任天堂の快挙です。その後、「たまごっち」は急速に大人のおもちゃにまで浸透すると共に、一気に飽和して様々な「ニセモノ」が出回って、結局アッ!という間に収束してしまいましたが、「ポケモン」はよく練られたゲーム性にコレクション・ホビーとしての姿を同時に展開して見事にキャラクター化を果たし、TVアニメから大スター「ピカチュウ」を生み出しました。ハードウェアとしての「おもちゃ」に留まった「たまごっち」とソフト・コンテンツとしての「キャラクター」に育った「ポケモン」の差、これが「ポストペット」の大きな教訓になったことは、プロジェクトのすべてのメンバーの共通の基本認識でした。

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