2011/11/01

11(第一部)

 EPICソニーは常に業界に「話題」を提供することを一つの社風としていたような、斬新で若くて元気一杯のレコード会社でした。設立当初は邦楽(国内制作のこと)のアーティストがまだまだ育っていないことから売り上げの中心は洋楽でしたが、当時の米国、及び各国のEPICレーベルには有名ビッグアーティストも少なく、カタログも大してそろっていませんでした。洋楽自体がレコード市場全体の25%程度のシェアでしたから、国内のアーティストがヒットを出さない限りは先がない、というのが業界、社内の一致した見方でした。

 とは言え洋楽の担当としては国内アーティストが当たるまでは会社を支える重要な責任がありますし、少ないとはいえ本国ではそこそこの知名度のあるアーティストなどもいましたので、創業と同時に発売計画、売り上げ計画に基づいた一人前の洋楽部門として位置付けられ、またそこで働く社員もそういった意識で活動していました。前回のこの「楽歴書」で、第1回新譜のボストンのエピソードを書きましたが、実は同じ第1回新譜で発売されたチープトリックのアルバムが、世界にEPICソニーの存在を知らしめることになったのです。「チープトリック・アット・武道館」は、EPICソニーのプロデューサーによる日本独自企画のライブ・アルバムで、日本で先にプレイクしたチープトリックが日本のための企画として制作することになった作品でした。これが本国アメリカでも発売されて、チープトリックにとって初の米国のプラチナ・ディスク獲得という快挙を成し遂げた歴史的なアルバムになったのです。この原盤権に対する米国からのロイアリティ収入は予想外の収入として設立直後のEPICソニーに大いに貢献しました。なにせ、国内でのアルバムセールスはかなりのヒットとはいっても12万枚程度でしたが、アメリカでのセールスは約10倍。この時に初めてアメリカのビジネスのスケールの大きさを実感しました。

 そのころの米EPICレーベルの代表的なアーティストといえば、ボストン、チープトリック、ジェフ・ベック、テッド・ヌージェント、ミートローフ、ジャクソンズ、スタンリー・クラークなどそして英国やフランスなどにはクラッシュ、ジューダス・プリースト、フランソワーズ・アルディ、カラベリなどが在籍していました。設立の年の後半にダン・フォーゲルバーグの「ツイン・サンズ」という名作が米国で大ヒット、200万枚のセールスを記録しましたが、日本では必死の宣伝活動にもかかわらず大した成績は上げられませんでした。日本の洋楽ロック界では現在で言う「ビジュアル系」のロックグループが人気で、ポップ界は第2次ディスコブームに入っていました。新宿を中心としたディスコの乱立、また竹の子族やパンク/ニューウェーブのムープメントもあり、全体として音楽シーンは活況で洋楽人気が高まっていた時期でした。このEPICソニーの設立のタイミングは、ソニーが「ウォークマン」を発売した時であり、音楽が室内から屋外へと持ち出されるようになったという点でも歴史的に大きな変化が起きた時代だったのです。ラジカセやミニコンポが登場したり、レコードはまだアナログでしたがカセットテープが音楽メディアとして大きく成長して、「ウォークマン」を使ったデモンストレーションなどが時代の先端として大いに注目されたりしました。また東京・九段の「日本武道館」はチープトリックのアルバムをきっかけとして、ビッグアーティストのコンサートの殿堂として世界的にも知られるようになり海外のアーティストにとっても日本が重要なマーケットとして認知されるようになったのも、この頃です。アバの大ヒット、ビリー・ジョエルはソニーのCMソングに使われた「ストレンジャー」でビッグになり、ディスコではサンタ・エスメラルダの「悲しき願い」のカバーが大当たり、アース・ウィンド・アンド・ファイアーは「ファンタジー」で一気に有名になりました。同じ頃イギリスから始まったパンク/ニューウェイブの波が日本にも波及し、特にファッションの面で若者に大きな影響を与えました。竹の子族とは対照的な「全身黒ずくめ」+黒サングラスのツンツン・ヘアーの若者が登場したのも、この時なのです。

 こうして1978年から1980年あたりを振り返って見ると、音楽やファッションといった流行のシンボルがすべて現在日本で流行っている物事の基本、基礎になっていることがわかります。当時、英国、米国は経済的にはドン底状態にあり、パンクやニューウェイプはそうした荒廃した社会から生まれた若者の新しい表現でした。1995年以降は立場が逆転して、日本が大不況の中で政治・経済が混迷しています。社会の動きに敏感な若者たちが音楽やファッションを通じて自己表現する時に漠然とした不満や出口や答えの見つからないイラ立ちが透けて見えることは、西欧化した日本人にも同様に起こっている現象で、当時の英国や米国と類似した点があるように思います。

 そういった意味でも1978年はバブルへ向かって突っ走り出す出発点となった年であり、1988年にEPICソニーが独立会社でなくなった時は、まさにバブル崩壊の直前の年でした。こうして改めて考えると「EPICソニー」という会社は、日本のバブル経済そのものを体現していたとも言えると思います。

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