2011/11/01

5(第一部)

 前回の原稿を読んだ方から、私の高校時代の5つの部活についての質問が届いたので、ご紹介しよう、いずれも典型的な文科系のクラブばかりだ。

1. 弦楽部…文字通り、クラシックのストリングス・オーケストラのクラブ
2. 吹奏楽部…これも文字通り、いわゆるブラスバンド部
3. 社会科学研究部…学生運動全盛時らしいマルクス・レーニン主義の思想研究クラブ
4. 文芸部…伝統的な同人文芸誌を発行していた創作文学と文芸評論のクラブ
5. 弁論部…こちらも伝統的な、いわゆる弁論大会を目標に活動するクラブ

以上の5つのクラブに所属し、練習、討論、執筆、編集など忙しく活動する毎日だった。

 この学校での公式なクラブ活動以外に私的な趣味として、音楽観賞の同好会やオーディオ機器の制作同好会、将棋(一応ペーパー3段を持っている)クラブなどにも顔を出していたので、それはそれは多忙である。そして、ジャズとの出合い。レコード収集と音楽演奏が常に中心に有りながら、時代の流れの中で学生運動の影響も強く受けていた。私が高2の時、あの東大安田講堂事件が勃発、前代未聞の東大入試中止の年となり、東大受験校としては県下トップの高校だっただけに影響も絶大で、多くの未受験浪人が出た年だった。

 したがって、我々の年度は東大受験生が一気に増えて競争率も過去最高となり、他の大学への影響も少なからず出たために、国立大学の志望者には受難の年となった。

 私は一橋大学を目指していたが、予備校の偏差値でギリギリという成績、結局落ちて浪人生活に入った。この浪人時代がまたまた有意義で、お茶の水の名門S予備校に通ったのだが、この大学生の街はジャズ喫茶、クラシック喫茶、レコード店さらに秋葉原の隣駅でもあって、楽しい誘惑に満ち溢れた所だった。中央線の沿線にも多くのジャズやクラシックに関係した場所があり、一年間、午前中の授業以外はそんな場所を探索する日々だった。  その時に大好きなグループを知った、Jazz Crusadersである。後にCrusadersと名前を変えるこのバンドは、ピアノのジョー・サンプルとサックスのウィルトン・フェルダー、トロンボーンのウェイン・ヘンダーソン、ドラムスのスティクス・フーパーの4人を中心にしたユニットでビートルズ・ナンバーやソウル・ナンバーなどを独特のアレンジでジャズ化してプレイするというユニークなスタイルを持っていた。日本ではこうしたポップなスタイルは評価が低く、ジャズ・ファンからは白い目で見られがちだったが、ブルージーな南部感覚の黒っぽさとモダンなセンスは70年代に入って一躍人気グループとなったことからも分かるように、新しい何かを予感させた。大学に入ってからも、このグループにますます傾倒し、ウェイン・ヘンダーソンのトロンボーンをコピーしては懸命に練習した。

 そして後になってアース・ウィンド&ファイアーに繋がってゆく流れがここで生まれたのだ。

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