2011/11/01

3(第一部)

 前回はビー玉の話を書いたのだが、今回は「楽歴」の本来の意味に当たる音楽の話を書こうと思う。私に特に音楽的な才能があるとは思わないが、母は情操教育の一環として6歳の頃からバイオリン教室に私を通わせていた。高校時代まで、結局12年ばかりバイオリンを習ったのだが、練習が嫌いで大して上達もしなかった。ただクラシックを聴く事は大好きで、中学時代にはビクターのステレオを買ってもらい、小遣いが貯まればレコードを買っていた。

 初めて手に入れたLPは、カラヤン指揮/ベルリン・フィルのチャイコフスキーの「悲愴」だった。確か、中一の時、15歳の誕生日に母にもらったものだ。自分で買ったものは、エーリッヒ・クライバー指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウのベートーベンの「英雄」だ、当時1000円のモノラルLPで、キング・レコードのこのシリーズはその後も何枚か買い集めた。ステレオ盤が欲しかったが、少しでも安いモノラル盤で多くの曲を聞きたいと思っていたので、当時としてもかなり古い録音のものを買った。そのおかげで、往年の名盤というものに早くから接触していて、歳の割に古いアーティストに詳しくなっていた。

 ポップスはもっぱらテレビとラジオで 聴いていて、その後オープンリールのソニーのテレコで録音してはテープのコレクションを増やしていった。ビートルズ、ストーンズはリアルタイムでヒット曲を聴いていたし、その頃からモータウンは大のお気に入りで、高校に進んでからは、クラシックとポップス、ソウルさらにマイルス・デイビスとの出会いからジャズにのめり込んでいく。

 とにかくレコードを買うために小遣いのほとんどを注ぎこんで、さらにオーディオにも夢中になったために秋葉原にはよく通った。真空管の自作のアンプやスピーカーユニットも色々と買いあさっては雑誌とにらめっこで作っていた。現在でも知人の家で当時のスピーカーは健在だ、CDは聴けないけれど。

 一つの楽しみを見つけるとそれに関連する楽しみが見つかる。この楽しみの連鎖が始末が悪い。コレクションやゲームの楽しみに物作りの楽しみが加わるとお金だけではなく多くの時間が必要になる。夜に強くなるのは必然の流れだ。寝る時間が惜しくなるからだ。受験勉強も人並みにやっていたから、とにかく忙しい。中学から高校の間は暇な時間は皆無だったといってもよい。この忙しさと好奇心が今の自分を形成していると思う。仕事も万事、この調子でやっているから、いつも世の中、おもしろい事だらけに感じるのである。

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