2011/11/01

4(第一部)

 高校時代は多忙な毎日で、勉強も必要なのだが、部活が中心の生活だった。何といっても5つのクラブに所属していて放課後は各部室を巡回しては他の部員との交流をしていたので、帰りはいつも8時ごろだった。その間に必ずおなかが空いて近所のラーメン屋に行くか、夜間学生用の学内食堂で何かを食べる。コンビニはなかったし、マックやホカホカ弁当もなかったのでパン屋とラーメン屋そして学内食堂が友達との付き合いの場だった。喫茶店もあったが、タバコを吸う場所というイメージが強く、そのうえ値段の割に腹にたまらないということで、彼女ができるまでは滅多に足を踏み入れなかった。デートで喫茶店を使う場合も、離れた場所での密会のスタイルだった。誰かに見つかると大変な騒ぎになるから、地元の喫茶店には絶対に行かない。私たちの場合は、もっぱら横浜で、それも名曲喫茶と言われるクラシック音楽専門のヨーロッパ調の店が多かった。とにかく中は暗く、静かで男女の密会には最適のムードだった。当時は恋人同士を「アベック」と呼んでいたが、名曲喫茶は多くが3階ないし4階建ての大きな店構えのところが多く、その最上階は「アベック席」または「同伴席」と呼ばれてカップル専用の席が設けられていた。高校生でここに入るのには勇気が要った。店員の視線が恐かったし、私服を着ていてもほとんどバレて、「アベック席」への階段を上るところでチェックされた。そのくらい、当時の高校生はウブで幼稚だったのかなと思うし、また世間の視線も厳しかったような気がする。

 この名曲喫茶ではいろいろなクラシック音楽を聴いたが、高校2年の夏休みに行きつけのレコード店のディスプレイで心惹かれた一枚のアルバムから一気にジャズに傾倒していった。初めて買ったこのジャズのLPは、「マイルス・デイビス・イン・ヨーロッパ」。1964年のパリのライブだが、新主流派と呼ばれた60年代最高のジャズ・クインテットのヨーロッパ公演の模様を収録している。パリにちなんで演奏されたシャンソンの名曲「枯れ葉」が入っているのだが、これが凄い。自分の音楽観を根底から覆されたような衝撃を受けて、とにかく何度も何度も聴き返し、アドリブのフレーズをすべて口ずさめるくらいまで聴き込んだ。

 それからマイルスのアルバムを集め始めたのだが、ジャズ喫茶の存在を知ったのは高校2年の冬休みで、代々木の予備校に通っている時だった。初めて入った時の緊張感は「アベック席」以上だった。新宿の「ポニー」という店で、10年ほど前に閉店してしまったが、名曲喫茶以上に沈黙に支配された喫茶店であり、注文以外では客も店員も声を出すことはほとんどなかったような気がする。ここで、ジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィー、ビル・エバンス、MJQなどのジャズ・ジャイアンツの名盤の多くを聴いた。「スイング・ジャーナル」の購読を始めたのもこの頃だ。音楽の素晴らしさと奥深さを本当の意味で実感したのがジャズとの出合いであり、マイルスとの出会いが私の中にCBSソニーという会社への憧れを生み出した。大袈裟に言えば、この時に現在の私がほぼ決まっていたのかもしれない。

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