2011/11/01

6(第一部)

 先月号は大変勝手ながら、個人的な都合で休載させて頂きました、申し訳ありません。今月から、また気分も新たに、もう少しくだけた文体で書かせて頂きます。

 さて、前回は寂しくも楽しかった「浪人時代」のことを書いたのですが、ジャズ・クルセイダーズとの出合いについてのお話をしましたよね。既に書いたかもしれないのですが、中学生の時に吹奏楽部に所属してトロンボーンをやり始めました。この楽器は地味で派手な妙な楽器でして、ジャズの世界でも主役とは呼べない楽器でありながら、独特の音色と他のソロ楽器にはない奏法のために、マニアックなイメージを持っていたと思います。他の管楽器と大きく違う点はグリッサンドを自由にできることで、弦楽器のような特徴があります。弦楽器の音域で言うとチェロに近いのですが、アンサンブルでの立場はヴィオラのような存在です。バイオリンやトランペットに比べるといかにも地味だということがお分かりになるでしょう? 

 ジャズ・クルセイダーズのフロント・ソロ楽器がテナーサックスとトロンボーンであったのは、サウンドとしてもかなり渋い、ブルージーなイメージを生んでいました。この渋さとリパートリーの斬新さが作る不思議なバランスに強くひかれたのです。トロンボーン奏者のウェイン・ヘンダーソンは驚異的な技巧派のプレイヤーで、当時まで世界最高のジャズ・トロンボニストと言われていたJJジョンソンを上回るド派手なテクニックが売り物でした。音域、音色、スライディング(トロンボーンの前後するあの長い管を操る技術)と、どれをとっても常識を越える多彩な音を奏でるウェイン・ヘンダーソン。トロンボーンをプレイしたことのある人であれば誰もが思わず唸るほどのハイテクの持ち主でした。この人のプレイをコピーするのはたいへんに困難で、必死で練習しても70%程度までできれば上出来でした。もちろんレコードからのヒアリング・コピーですから、楽譜を起こすのも一苦労です。結局、大学時代にバンドのレパートリーに入れることが出来たのはわずか5曲でした。

 そんなジャズ漬けの大学時代に、ポップスの世界は急激に変化を遂げてロックは新時代へと入っていきました。ジャズとの融合やソウルとの連携も多くの試みがなされて、当時の言葉でクロスオーバー、あるいはフュージョンと呼ばれるニュージャンルが登場して、ジャズ・クルもバンド名からジャズをはずしてザ・クルセイダーズと名乗るようになりました。ハービ・ハンコックやチック・コリア、ウェザーリポートなどピアニストを主にしたグループがヒットし、ザ・クルセイダーズのジョー・サンプルも一躍ソロピアニストとして脚光を浴びる存在になっていきます。段々とトロンボーンの陰が薄くなって、結局バンドはピアノとサックスを中心にしたものに変化、ウェイン・ヘンダーソンがバンドを抜けることになります。

 これがちょうど私の大学卒業の頃。就職先としては、真っ先にレコード会社を考えましたが、あまりに安直な選択に気がひけて、大学での専攻にも一応関わりのあった新聞社も受けてみる気持ちでいたところへオイル・ショックが勃発。新聞社は一斉に新卒採用を見合わせるという事態となり、就職事情も一気に厳しい状態になり、大手レコード会社のほとんどは電機会社か出版社の子会社ですから、採用枠が前年の50%以下という狭き門になってしまいました。ビクター、コロンビア、東芝、キング、そしてCBSソニー。書類段階で東芝、キングに蹴られ、1次面接でコロンビア、ボツ、2次面接ではビクターとCBSソニーが同日同時刻に面接が重なるという不運(あれは意図的だったのか?)もあって、結局CBSソニーだけになってしまい、かなり深刻に焦ったことを覚えています。そこで何とか最終面接まで残ったのは、応募書類にウソを書いたから。本心はレコード・ビジネス志望でしたが、競争が厳しいと考えて、CBSソニーが新規事業として取り組み始めたキャラクター・ビジネス(当時はカード・ビジネスと言っていた)の志望だと書いたのです。これがどうやら効を奏したらしく、なんとか最終(6次)社長面接までこぎ着けました。そして……。

 次回はこの社長面接のところから続きを始めたいと思います。

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