2011/11/01

8(第一部)

 正月というといつも思い出すことがあります。会社に入って以来3年間、元日の夜行列車で岩手県の盛岡に出張していたことです。鎌倉の自宅でお節料理をつっついてから夕方にはかなりの荷物を持って上野駅へ向かいました。両親は「なんで元旦からそんなに働かせるのか」などと私の出張を疑っていたようですが、本当に盛岡へ仕事をしに行っていたのです。

 入社研修後に知らされた配属先は、予想通りキャラクタービジネスの新規事業を手がける子会社でした。東京市ヶ谷の本社勤務ではあったのですが、新入社員唯一の子会社出向。念願のレコード部門へ配属された連中の哀れみの視線を受けながらも本人的には納得づくの配属でしたし、それなりに気持ちも高揚して新しい生活に希望をもって出社しました。配属先は営業の企画を担当する「販売推進課」というセクション。要するに現場の営業マンの尻をたたく部署なのですが、新入社員がいきなりベテランの営業マンに指示を飛ばせるはずもなく、最初はフィールド研修と称して営業マンにくっついて販売店を回らせられます。先輩のアシストですからこちらが指示される立場で、お店の在庫チェックから始まって注文取り、伝票書き、不良品や返品の管理といった下働きを手伝わされました。入社から3カ月間はこうした店回りをやらされ、小売店、デパート、スーパーそして問屋といった得意先を毎日訪問していましたが、徐々に本来のデスクワークが主になり「販売推進」のための仕事をするようになりました。とは言え、やはり新人がやらされるのはコピー取り、集計、日報チェック、全国の営業所へ書類の配送といった力仕事で毎日11時頃までの残業は当たり前の生活でした。

 そして8カ月が経過した12月、月例の営業会議で「卸見本市」という言葉を聞かされました。話が前後しますが、キャラクターピジネスの新規事業というものは実は文房具を中心とする雑貨の商売で、自社制作のキャラクターや他社のキャラクター版権を買ったものなどを使って製品を作り、それを文具店やデパートの文具売り場へ流して販売するというビジネスです。当時のCBSソニーは新規参入であり、強いキャラもなく営業力やブランド力もほとんどありませんでしたから、「電気屋がなんでノート売ってるの?」などとお店からもずいぶんからかわれたりしました。現在のように音楽アーティストのキャラクター商品などはほとんどなく、あってもカレンダーやポスター程度で、それも商品というよりレコードの宣伝用にタダで配られていましたので全くビジネスにはなりませんでした。音楽系タレントのキャラクターグッズが商品として大量に発売されたり、またそれが売れたりするのはピンクレディー以降のことです。ましてレコード会社が自らこのような商売を始めたのはごく最近のことで、大半はタレントの所属するプロダクションがそれぞれの商品メーカーに版権を販売することで成り立っていました。それも現在と同様にマンガやアニメのキャラクターが圧倒的に強く、文具と玩具が主流でしかも子供向きというのが定説でした。現在のように高校生がキティに夢中になるといった現象は80年代になってからで、せいぜいディズニーものが広い層にも受け入れられていたくらいでした。

 さて、話は戻りますが「卸見本市」とは、新学期シーズンを迎える新年の初めに全国の文具系問屋が小売店を招いて各メーカーの新製品を展示して予約注文を取るためのイベントです。各地の有力な問屋が展示場や体育館などを使って1月の初めから2月にかけて開催するのですが、展示から注文取りまで全てメーカーの負担で協賛金を払ってこのイベントに参加します。メーカーは12月中に展示用のサンプルを現地に送り、ディスプレーのためにイベントの前日から現地入りして準備します。全国で一斉に開催されるため人手が必要で、営業マンだけでは捌ききれず「販売推進課」も動員されて1月の初めから「見本市」営業が展開されるというわけです。

 そして入社一年目の私に振られたのが岩手県盛岡市の某問屋の「見本市」。元旦からの出張は帰省客もまばらな寝台特急、しかも経費の規定で当時のB寝台。たいした商品もなく幅1.5mの展示台に同じものをいくつも並べて「見本市」営業をやらされた時は、盛岡の寒さも手伝って本当に惨めな気持ちになりました。大手メーカーの巨大なプースを横目に見ながら、数組のお客を相手にするだけの1日の長いことといったら……。とは言え、担当は一人ですから休憩もままならず、展示台の裏で弁当を食べるときの侘しさは今でも鮮明に覚えています。なにせメーカーとしては新参者、私自身も新参者ですから誰も注目してくれることはなく、気まぐれに立ち寄ってくれたようなお客様にも商品説明の前に会社の説明が必要な状態ですから、まずレコード会社としてのCBSソニーを紹介しなければなりません。当時は創業から5年目でしたから山口百恵や郷ひろみなど多くのヒットアーティストがいましたので会社の紹介には苦労はしませんでしたが、その「見本市」への本来の参加の目的はなかなか理解されませんでした。「それで何してるの?」とか「じゃあタレントのポスターをサイン入りで10枚くらい送っといて」とか「宣伝のついでに百恵ちゃんを店に連れてきてくれ」とか「盛岡に南沙織はいつ来るのか?」とか……。商品の説明を始める前にそんな話ばかりで、結局「うちはノートはこれ以上いらないなぁ」とか「便箋と封筒だったら◯◯さんので十分」とか、肝心の商談はものの10秒でおしまいという有様でした。帰りの特急の中で「会社やめようかな」と本気で考えたものです。

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